アークランプ

ITアーキテクトが、ビジネス書とかデザインとか建築とかからシステム開発を妄想するタンブラー。ブログ:http://www.arclamp.jp/

・そんな中で、「上司との関係がうまく行かず、毎朝仕事に行くのがゆううつ」と題された適応障害の中のこんな一文が目に留まった。「精神科医として最近感じることは、人々がゆううつや不安、イライラなどの都合の悪い感情を、異物として外在化、つまり外からくるものとしてとらえる傾向が強くなっているということです。」(95頁)これは、自己のイメージと不安、落ち込みとの落差が大きすぎることに耐へられないことから来るらしい。以前なら「自分の性格の問題ととらえ」(同前)たものが、現在ではいきなり「あたかもゆううつや不安、イライラは自分とは関係なく、外からとりついたものであるかのように語って、薬を切望する人が増えてい」(96頁)るといふことになる。話をきいてもらふより薬がほしい。とりあへず不安が収まれば、鬱が治れば… …言はば即効性のある対症療法を求めるのである。「適応障害って、治療して治すようなものなのでしょうか。」(同前)例へば上司との関係などは「本来なら、自分の中で咀嚼し、気持ちの転換を図るべきこと」であるのに、それができずに精神科で薬をもらふやうになつてしまつた。「人々は以前にくらべ傷つきやすくなっています。自己愛的になり、自己憐憫に陥りやすくなっています。(中略)周囲の人々も、こうした訴えに対して受容的・寛容になっています。」(98頁)ともある。曲解であらうと敢へて言つてしまへば、「頑張らない」のもこんな風潮だからこそであらう。「精神科の臨床は、社会を映し出す一つの鏡でもある」(101頁)。本書は社会批判の書ではないが、所々にそんなことが出てくる。

khipu :: 眠れぬ夜の精神科 - (tetu@”aqua”internet版khipu別館)

自分と世界とのギャップを解決する方法は、自分を変えることでも世界を変えることでもなくて、世界と自分の関係を見直し、調整していくこと。そのために必要なのはケア(気配り)であって、キュア(一時的な癒し)ではない。